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インターネットが私の世界

新卒で入った会社で3か月で精神を病んで辞めた

おはようございます。久々の長編となると思います。

 

早速本題ですが、会社辞めました。しかも1年経たず。

というわけで、そのあらましを備忘録・戒め・アドヴァイス・エンターテイメントを兼ねてダラダラと書き綴りたいと思います。

自己紹介

なまえ:R1NNE(リンネ) またはVLF(ヴァールフ)とも

ねんれい:23さい

がくれき:某九州の大学卒(学士、工学系)

しかく:beatmaniaIIDX皆伝A1

こんかいのながれ:新卒で3か月ほど勤務→精神疾患により半年ほど休職&その間に転職活動→今年一杯で退職

 

本題

~大学卒業まで~

どこから書こうか迷いますが、コトの発端となった就職活動からざっくり語ろうと思います。

私の在籍していた大学の学部では、大学側から特定の企業に対して推薦書を出してもらい、それをもとに面接を行う推薦制度があります。一般的な面接とプロセスはやや違いますが、やること自体はES提出→1時面接→最終面接とほぼ変わりません。

と言う訳で、就活自体はマ~ジでなんも考えずにその企業の研究と就活マナー対策だけ行い、他はま~ったく応募せず(3社くらいは受けたけどマトモにやらずに受かる訳がなく)そのまま終えました。舐めてますね。 これから推薦使う人はあまりに対策ナシだと普通に落ちると思うからマジでちょっとはちゃんとやれよ❗

当時の自分の心境としては、どこでもいいから安定して働けたらええわw くらいのノリで生きてたので、マ~ジで雑にデカくて知名度もあり、安定してるとこ!wという条件だけで決めました。本気でぶん殴りたいです。

 

そんなこんなで就活終了後、残りの学部生活はシリコン板のカットとビートマニアに全力を注ぐ毎日でした。ド舐めてますが当時の自分はこの時期はクソ遊べる時期だな...と思って生活していたので今でもそれは全く後悔していません。大学生は人生の夏休みです怒

そんなこんなで遊び惚けて大学を卒業し、いや~明日から地獄や~wと調子に乗った心境を抱えたりトゥイートをしつつ3月31日、人生の夏休みを終え眠りにつきました。文字通り地獄になりましたが。

~配属まで~

そして4月になり、社会人生活がスタートしました。しかし4月の大半はリモートでの研修だったので、大学の下宿先にそのまま住みつつ家のPCで研修を受け、定時後にビーマニやら飯を食いに行くというあまり学生時代と変わらない生活をしていました。これがずっと続いていたら今の状況にはならなかったと思うのですが。

そして4月の後半、研修先の寮(?)で過ごす羽目になり、そこから何かが瓦解し始めました。そこの寮は12畳4人共同部屋、ネット無し、門限21時(なぜ?)、トイレ風呂洗濯食事共同と今までぬるま湯に浸かっていた私を一気に深淵へ叩き落しました。刑務所かよ

に加え、昼休憩スマホ禁止とかいう謎ルールも更にストレスでした。トイレでコッソリ見てたけど

ここで苦しい弁明だけはさせて欲しいのですが、自分の考え方としては仕事自体はキッチリ真面目にやるから、プライベートでの束縛はやめてくれってのが非常に大きいんですよね。なので、やや古い体制、いわば昭和気質の社風と悉くマッチせずにストレスが暴騰しつづける毎日でした。

 

というか来た初日から以後毎日親に泣きながら電話して辞めたい辞めたいと喚いていました。流石に入社から1か月経たずに辞めるのは時期尚早すぎだろう(研修中の上長にも相談したら同じ反応でした。至極あたりまえだけど)と100人中100人に言われそうですが、結果的にもう辞めてるので私が正しいです。😄😸

この時人間関係はほぼ問題なかったです(というか、退職理由に人間関係やら仕事は全く関わってこないです)。というか同期の構成が1割弱院卒、極少数わたし含む学卒で他の8割が高卒であったので、大体ヴァールフさん!ヴァールフさん!といった具合に慕われて年の差で自分の社会不適合さを誤魔化しつつ、学卒組とも世間話やら無難な話題やらで社員同士っぽいコミュニケーションをしてました。

あっ、でも教育担当の先輩の1人がテンプレートみたいなパワハラ系で、事ある毎に同期をドヤしており、加えてわたしが些細なミスをした時に「〇〇卒なのにこんなこともできんのやねw」っつってきた時には〇そうかと思いました。どうせ辞めたしここで顔にコーヒーぶっかけとけば良かったというのがこの会社での唯一の未練ですね

そんなこんなで精神が摩耗する中、研修が終わり配属先に引っ越しすることになりました。鹿児島の片田舎

~休職するまで~

5月のGW明けに、はい、鹿児島の片田舎に配属されました。

居住地は全員強制で独身寮に入寮です。築60年、風呂トイレ水回り共同、部屋に水回り・ガス無し、最寄り駅・コンビニ徒歩10km、最寄りスーパー徒歩15km、バス一日4本、3G回線、ドアが薄すぎて廊下の対面の部屋の声が聞こえる、来た時から窓閉め切ってるのに壁をヤバい虫が這ってるという魔窟に。

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イメージ図(場所:宮島) 赤丸が住んでたとこで厳島が近辺の市街地のイメージ 条件が限られ過ぎてて容易に会社特定できそうだけど

意味が分かりません。そもそも、こんなもんは入社前に伝えておくべきなのにこんな場所に住まさせることを伝えられたのは入社後+配属後なのでどうしようもありません。受け入れるしかありませんでした。

田舎でも足があればなんとかなるのでは?とも思われそうですが、新入社員は1年間原付バイク含む車所有禁止という謎ルールがあったので完全に詰みです。(というか職場にはそもそも個人車入れません)理由を聞いたら地域住民の迷惑になるかもしれない云々と。近辺に人いねえよ

正直、仕事自体も夜勤込みの交代制だったりクソ暑い工場内を歩かされたりと中々にシンドイものもありましたが、それをブチ抜いてコレだけで退職のきっかけになったくらいには酷いです。まあ新入社員の会社への帰属意識やら、共同生活を通して絆を深めるやら、そもそも職場に近いからとか色々強制入寮させる理由はありそうですが今令和ですよ?こんなもんは負の歴史として時代に置いてきてください。マジで。

 

コレをつらつらと書いていたら枚挙にいとまがないと思うので流石に進みますが、もうここから鬱が怒涛の勢いで加速していきました。同期やら先輩に目が死んでる、ご飯食べてる?(実際ほぼ食ってない)と心配されるのは序の口、まず食欲が無くなり一日ほぼ1食、食べるものもほぼ画一的な者になっていきます。(ほぼ毎日当直みたいな勤務だったのに加えて前述の通りスーパーが無いので買い溜めたパスタだけ食って凌ぐ、休日やら家ではカレーメシプロテインバー素のフルグラを手掴み(牛乳が買えないのに加え、器に盛ると片付けが非常に大変)のみで生活していました)。

次に、交替勤務やら鬱で睡眠欲がおかしくなり2時間ほどしか寝れない日や逆に休日で一日中何もする気力が湧かずに16時間近く寝る日が大半でした。性欲は持ってきたVR機器でなんとかしましたが

 

そして全ての要因が重なり合って生きる気力を無くしました。

会社の近くの池に真剣に身投げしようと何度も考えたり、道端に30分ほど倒れ込んでこのまま車に轢かれて死のうとしたり(救急車呼ばれました)、勤務中に常に妄想に取り付かれ、自分のマインドの中に偶像を作ってひたすらそれに救いを求めていたりと多分あれ以上あそこにいたら本当にどうなっていたか分からないです。

本当にヤバくなる直前、奇跡的に徒歩10km県内に精神病院があるのを知り、藁にも縋る思いで予約を入れ、週1で診察を何度か重ねた結果診断を頂き、そのまま4月入社後3か月経たず休職しました。あの状況で最後の力を振り絞ってこの判断が出来たのは自分でも本当に偉いと思います。

~転職まで~

その後は早急に広島の実家に帰りました。帰った直後は約1か月間、とにかく無気力で睡眠以外に気力が湧かず、一日14時間前後寝て過ごす日々が続いていました。たまに外に出てビートマニアはガッツリしてましたが しかも過去一ペースで上達した

しかしながら、まともな場所でまともなご飯が食べられ、自分のやりたいことに気兼ねなく取り組める環境はこの上なく療養に適しており(療養というかこちらが普通なだけ)、8月に入ってからはかなりメンタルを取り戻していました。

ここで会社ともかなり交渉を行い、若手社員+αが住んでいる寮から勤続年数の長い社員が主に住んでいる社宅への引っ越しや、また一般的な賃貸アパートへの引っ越しの交渉を行いましたが、断られました。お前何が原因でこうなったとおもっとんねん(後にアパートに関しては認められましたがもう内定が出た後だったので笑顔で断りました)

休職期間を消化して戻るのがまたあの魔窟ではあまりにも解決になっておらず、今度こそ本当に近くの池の水死体になる姿が見えたので、社会人経験半年未満にして転職を決意しました。(学部で卒業したので大学院に再進学等も考えましたが、経済的に現実的でなかったので断念しました)

 

とは言え、私は冒頭で綴ったように大学推薦で就活を終えていたため、転職に関しては本当に苦労しました。主に学歴やバイト経験を生かして塾講師や、PCスキルの使える事務系、研究系に応募しましたが、やはり社会人経験の浅さや資格の心細さ、何より就活知識の浅さで15社近く書類で落とされ、面接にこぎつけても連敗が続いていました。しかしながら、転職に失敗したら後がないという背水の陣的な心持で気力を絶やすことなく約3か月後に志望企業様より内定を頂き、転職しました。この時の心境は、転職中ずっと「自分はこのままずっと社会から拒絶され続けるのではないか」という心配を抱えていたので、喜びよりも安堵が大きかったです。色んな意味で。

 

~今日まで~

と言う訳でようやくケリがつき、先日9割方退職処理を終えたところでした。

半年放置した寮に帰ってきたら、服やら布団やらに夥しい数のハエの卵と死骸とカビが付着しており、絶句しました。人の生きられる環境じゃないと思います。とはいえ、居住地はスペースデブリ以下ですが職場の人間自体は親身に私の心配をしてくださり、本当にお世話になったと感じていたので温厚なまま退職処理を終えられました。帰りの新幹線でほとんどLINEブロックしたけど

新天地は必ず良い未来になるとも言えず、居住地以外の新たな問題も出てくるだろうと考えられますが、その面はこの1年で身をもって体験したことを常に忘れず、まあフランクに言えばココよりはマシといった心持でなんとかしていきたいですね。そもそも、自分の性格的にずっと社会人やってるような気質ではないだろうと思っているので、もっと楽しくやっていきます。

~雑記等~

という話でした。今朝6時前ですがあまりにキーボードが乗りすぎて終わりそうです。

今回の一連の流れで、友人数名から転職に関しての相談も受けたりしましたが、自分から言えることはキャリアとスキルさえあれば本当に転職は何とかなると思います。なので、抱え込んで潰れる前に誰かに相談したり行動することが大事なんじゃないでしょうか。また、これは自分の価値観になりますが、仕事するために生きてないんで責任やら社会的地位をあまり深く抱え込まずに、明日の食事とビートマニアさえあればそれでいいみたいな舐めた考えで生きるのもいいんじゃないかと思います。これはもう自分の中で死ぬまで変わらないと思います。

あと、休職以降心配して頂いた多数のフォロワーや知人には感謝してもしきれないです。これからも仲良くしてくれたら嬉しいです。

と言う訳で、新卒で入った会社で3か月で精神を病んで辞めたという話でした。ここま見て頂きありがとうございました。