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鬱状態の時に鬱作品を読みたくなるのは何故か

おはようございます。今会社ですがあまりにも仕事が回ってこないため執筆しています。


さて、今回の話題ですが、私自身ネガティブ思考/悲観主義が強い気質であり、これまでの人生で様々な外的要因により鬱に近い状態になったことが幾度かありました。(いやまあ前の記事で書いたのが一番デカいんだけど)

その都度、気持ちを和らげるためにやっていたことが「鬱作品にひたすら触れる」行為なんですよね。

恐らく、気持ちが沈んでいる時に暗い話や鬱な作品に触れるとますます鬱が加速するというのが一般論でしょう。

しかし、私の場合寧ろ気持ちが沈んでいる時にこそそういった暗い作品が読みたくなり、それを消化しきった後に何とも言えない充足感と感情の昂ぶりが起きて、一時的に躁状態になったり安心して寝られたりしていました。

何故なんでしょう? ずっと自分でも気になっていましたが、(まったくの素人の)心理学的観点からちょっと考察してみました。

(そこそこ論文を読んでもほとんどそういった情報がなかったので、専門家の人がいたらこの症状の名称が具体的に何なのか教えてください)


[同一化、とシンパシー?]

まず、フロイトの提唱した防衛機制の観点からこの症状を考察すると、「同一化」が近いのではと感じました。

しかしながら、同一化の定義的には「自分の尊敬する人や理想とする人の振舞いや特徴を真似て欲求を満たそうとすること」なので、これだけでは私の場合は方向性がかなり違いますね。

そこで更に論文を読み漁った結果、その「同一化」にはアダム・スミスの提唱した「シンパシー」の絡んでいたものではないか、と考えました。

アダム・スミスによると、「シンパシー」という概念は「ある人が苦痛を感じるとき、それを目撃した人間は、自分の感覚によって与えられる限界(個体の知覚能力の範囲)を超えて、その痛みを感じ取ることができる。つまり、苦痛を感じる者(sufferer)の苦痛を、それをみている観察者(spectator)が想像力(imagination)を使うことによって、自分の身体に生じたわけではない苦痛であっても、苦痛として感知するわけである。[1]」ということらしいです。

鬱作品は基本的に登場人物がひどい目に遭ったり頭がおかしくなったりするので、そこで私は「シンパシー」を使ってその作品の人物と同じ苦痛を共有しようとしていたわけですね。

では何故わざわざフィクショナルの鬱作品を用いて自らのシンパシーを引き出し心の平静を保っていたかと言われると、ここでまた「同一化」が出てくるのではないかと思います。

同一化の定義が先に述べたように主にポジティブな形での防衛機制であったのに対し、私の場合は「自らが苦痛を感じている時に、同じく苦痛を味わうフィクショナルキャラクターにシンパシーを感じることで、キャラクターの鬱体験と自らの鬱体験に「同一化」が生じていると感じることによる、欲求の満足」が起こっているのではないかと考えました。

上手くかみ砕いて説明し辛いですが、キャラクターが酷い目に遭うシーンを享受することで同じく(ベクトルは違えど)酷い状況にある自分の心境を共有し、最終的にはキャラクターが感じる苦痛をあたかも自分が体験していると思うことで「自分もこんなに辛いんだなぁ」と感情的な結合を図っているのだと思います。キモイですね。


[同病相憐という概念は心理学上に存在するのか]

この症状についてもっとよく調べてみると、「同病相憐」という言葉が出てきました。「同じ悩みを持つ者同士は、互いのつらい気持ちがよくわかるから、同情し合うということ。(広辞苑より)」という意味です。

これを私に置き換えたらフィクションのキャラクター相手に同情し合う行為を行っていたとも言えますね。キモイですね。

しかしながらこの「同病相憐」という概念は正に私が直面していた現象でした。「同じ苦痛を共有する」というのは親しい者同士だとかなりレアケースで難しく、正常な人がダメな人から一方的に愚痴や苦痛を聞いてあげることしかできないんですよね。それはただの共感なので、どうも気が晴れない部分があるわけです。

ですから、いつでも気軽かつ一方的に自分の苦痛を押し付けられ、同じ病を相憐れんでいる気になれる都合の良い心の拠り所が鬱系のフィクショナル作品だった訳です。

かなり悪いような書き方をしましたが、同病相憐を求めるような人にとってこういう存在は非常にありがたいものでした。一般的な論で言えば、苦痛というのは最初に述べた本義の「同一化」だったり、なんらかの防衛機制で言い表せる形でコントロールしてますもんね。

ここまで話すと、前述した「同一化」の観念とは全く違うじゃねーか、とは思われそうですが、そもそも「同病相憐」って観念って、防衛機制の中に明確に無いんですよね。

冒頭にて書きましたが私は大学時代心理学は専攻してもいないし、今回の記事もWikipediaと論文をチョチョイと漁っただけなので私が浅学なだけかもしれませんが、「同病相憐」に関して心理学的観点から考察したような論文を今回見つけられませんでした。なんでや

原因としては

・知らないだけでそういう症状の別の言い方が存在している

・そもそもそういう防衛機制を持った人間が稀有すぎる

・海外の論文にあるかもしれない

くらいでしょうか。コレだけちょっと気になるのでそういう大学とか教授に問い合わせてみようか考えてます。


[まとめ]

以上、拙い考察でした。

長年感覚的にこういうことをして苦痛を和らげてきたので、今回の考察でやや理論的に説明できるようになったのは自分でも納得行く結果となりました。

なんか心理学は独学でもすごくモチベが出て楽しいので気が向いたときにまたこんなん書きます。ありがとうございました。


[おまけ]

参考までに、わたしがこれまで触れてきた鬱作品を紹介します。自分語りです。

こういう類のが好きな人はもしかしたら同病相憐をどこかで求めている気質があったりするかもしれないですね。

serial experiments lain(アニメ、PS、書籍)

さよならを教えて(アダルトゲーム)

・ミッションちゃんの大冒険(Web漫画、公開終了)

・笑顔が一番(Web漫画)

・魔王少女アンリ・マンユ(Web漫画)

・pixivで死ぬほど見たR-18Gのリョナ系作品(あまりに好きすぎて自分で描くようになった)

最終兵器彼女(漫画)←ややマイルドかも

・ドキドキ文芸部(ゲーム)


引用元:

[1]ホイットマンにおける「シンパシー」の概念/山内 彰

・がんに負けない心理学: 臨床心理士が教える心の応急手当てとケアの方法/和田のりあき