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インターネットが私の世界

エロ・フラッシュに対する熱い想い

平成が終わろうとしている。一つの時代の幕切れに立たされながら我々が想ひ偲ぶものは、10年、20年と時が経つにつれ変遷していった物の事である。著しい技術革新、科学の台頭により生み出され、消えていった物の数は枚挙にいとまがないであろう。そんな切なき時代の切れ目の中、私は一つの事実と邂逅してしまった。

Adobe Flash Player 2020年末でサポート終了」

Flash Playerというと懐かしい響きである。幼少時代に「ゲーム 無料」で検索して出てきたフリーゲームに入り浸ったり、パソコンの授業で「おもしろフラッシュ」で検索しクラスの注目を欲しいままにしたりと、謂わば私にとってインターネットの礎を築いてくれた母である。しかし何より言及しなければならないものがある。それは

「エロ・フラッシュゲーム」(通称エロフラ)

である。平成の最期、今のインターネット情勢を振り返るとどうであろうか。まとめサイト、巨大Pornサイト、画像交流サイト、果てにはSNSサービスで今この文章を書き綴っている間にもエロ・画像が絶え間なく生み出され、インターネットにひしめいているのが現状である。欲しいものはすぐに手に入る。すぐにエロが見られたらそれで良い。エロは遍在する。そういった事実に対し、昔は良かった~、だの社会に対するモラル~だの小難しい話をするつもりは毛頭も無い。ただ、終わりゆく物に対し些かながら華を添えさせていただきたいだけである。

エロ・フラッシュゲームは時代の遺物と言わざるを得ないかもしれない。2000年代の技術で作られた単調なUI、些か理不尽なゲーム性などは現代のエロの遍在する時代に対して致命的なのかもしれない。しかし、だからこそ、そこに魅力があると私は信じてやまない。

一個人の意見として、エロを楽しむに当たり、最も興奮的になれるのは「得る過程」ではないかと思う。エロ・フラッシュゲームは正にそれを体現している。例えば、脱衣ブロック崩しで段階的に服が破けていったり脱げていく「じらし」の観点、そして貫通弾、Ctrl弾で一気に服が破けていくときの「解放」のギャップによる興奮の増大、ゲームオーバーになったら最初から、という適度な「緊張感」により一層エロに真摯に向き合い、より楽しめるのではないかと思う。もちろん、それらをすべて乗り越えてやっと手にする事のできた物に対しては、たとえそれがただの一枚絵だとしても、より感動が一入であろう。これらは脱衣ブロック崩しだけではない。フラッシュ職人の各個人が如何にじらしつつ、じらしてゲーム性を意識させ、そして辿り着くエロをより強調させていると思う。エロ・フラッシュゲームは「エロにたどり着く段階」に真剣になれ、エロとの出会いをよりセンセーショナルにしてくれるものだと結論付けさせて頂く。エロの為に無暗矢鱈とマウスを動かし、ひたすら局部をクリックし、自機の展開に一喜一憂し、そしてようやく辿り着いたご褒美に対する悦びが一層、すばらしいものになってくれるのである。

現在の時代、エロは遍在している。エロが簡単に手に入ることは決して罪ではない。ただ、時代の波に飲まれ、消えつつあるコンテンツに、かけがえのない光る物があったという事をどうか知って欲しいのである。